大洲松川浦ラインを電動アシスト自転車で縦断してみた。
見渡す限りの一直線。
太平洋と松川浦を隔てる砂州上の大洲松川浦ラインが、昨年、7年ぶりに開通していたことを知り、先日5月の連休中、全長6〜7キロ。見渡す限り一直線の海岸道路&堤防の上を遅まきながら走って参りましたので、その時の写真から。
福島県浜通りの北部に位置する松川浦は、福島県相馬市の北東に位置する磯部地区から北に発達した全長7キロにも及ぶ大洲と呼ばれる砂州によって、磯部地区から鵜の尾崎までの間の内湾が太平洋と隔てられ潟湖となったところで、
太平洋と松川浦を隔てる南北に発達した砂州の長さは、宮津湾の沿岸流により発達した有名な天橋立の倍程もあり、東に太平洋、西に静かな干潟の松川浦を望む砂州上に発達した緑濃いマツ林とそれを縫うように一直線に整備された直線道路は、震災前まで行われていた松川浦大橋マラソンコースや、ドライブコースとしても人気があったところですが
その日本有数の砂州が東日本大震災の高さ9メートルを超える津波で堤防ごと決壊。
砂州上にあった直線道路は、道路があったかどうかもわからないぐらいの甚大な被害を受け消失してしまったのですが、
その大洲松川浦ラインが、昨年、7年ぶりに開通していたことを知り、遅まきながら、先日5月の連休に愛車のCITY-Xで見渡す限り一直線の海岸道路&堤防の上を走ってまいりました。
コースは以下で
当日は雲ひとつない絶好のサイクリング日和で、仙台市から国道4号を南下。
岩沼市から国道6号に入り、後は、相馬に向けて国道を一直線。
で、宮城県の一番南にある山本町の坂本駅付近で国道6号に別れを告げ、まだまだ震災の復旧が続く海岸沿いの道路へ曲がり南下してみることに。
仙台の街中にいると震災の記憶も日常では遠い記憶になりつつありますが、
海岸沿いを走ると震災の傷跡がいまも生々しく、なかなか自転車で走ることもなかったのですが。
海岸通りの道路沿いには、海沿いに高い防波堤だけが作られ、人々の暮らしがあったところは今では何もない更地となり、砂埃に巻かれながら佇む山元町立中浜小学校の跡地
ここで被害者がいなかったことは奇跡としか言いようがありません。
そんな、海岸通りを、磯浜漁港
釣師浜漁港と南下し
松川浦大橋を渡り、鵜ノ尾岬トンネルへ。
一昨年前に、松川浦大橋まで来た時には、震災の復旧中でここから南へは南下できなかったのですが、
鵜ノ尾岬のトンネルを抜けれるなんて、感無量!
鵜ノ尾岬トンネルを抜けると
出ました!
大洲松川浦ラインの一直線!
ウヒョ〜〜!綺麗!
震災前とだいぶ変わりましたが、
遥か向こうの茶屋ケ岬まで続いていると思えるようなこの直線は素晴らしい!!!!
堤防沿いの車道の方は鵜ノ尾岬トンネルを抜け約2.5キロぐらいで海岸に別れを告げますが
松川浦と太平洋を隔てる復旧された砂洲上の海岸堤防自体はそこからさらに南に伸び、全長6〜7キロ。
自転車だとその端から端まで、車道より海岸沿いを、より高い目線の特等席で縦断出来ますので、この海岸はまさに自転車天国!!
砂洲上にあった黒マツの海岸林はボランティアの手で、今も復旧中です。
辿り着きました。
大洲松川浦堤防の南端。
茶屋ケ岬方面。
でも、その南は、道路もまだ整備されてなく、道はまだ砂利道で、海岸もまだまだ復旧途上でした。
で、その日は、相馬に一泊。
翌朝、朝焼けの頃の松川浦を再度一周して堪能してまいりました。
鵜ノ尾埼灯台
帰路に続く。